知らんけど

関西人、というか大阪人ですかね。「知らんけど」を話しの末尾につける文化について

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関東の方が「知らんけど」についての戸惑いと納得が記されています。

共通するのは、結局の所は知らないということだ。真相はどうなのかはさておき、積極果敢に会話を展開して場を盛り上げようとする意欲がにじむ。

 「結局は知らない」ということでもないんですよね。
そういう場合もあるけど。あやふやな出元の情報を拡散するのを押し止めるための「知らんけど」と、十二分に知ってはいるけれど、そんな知識を披露した自分を賢い人のように振る舞ったことに恥じらいみたいな感じがあるんですよね。

実はよく知らないことでも面白おかしく話を展開して最後に『知らんけど』と付け加えることで、免責を得たい意思表示でもあると言えます

免責ってのはあると思います。友達の友達の親戚の親の兄弟の友達の話を、自信を持って「こういうことらしいで」と話すのは不正確じゃないですか。面白い話は伝聞で伝わってくるものだけれど、そういうことに対する流通経路はかなり遠方ですという意味での免責というものはあると思うんですよね。

話を面白くするためには「盛る」といった誇張する行為があると思うんです。それを自覚してるからこそ、この話は多少盛っているかもしれませんよ、という意味合いの「知らんけど」もあると思うんですよね。盛ることは私にもあるし他人にもあり得る、だってその方が面白い話になるから、という自覚がそう言わせるのかもしれません。

伝聞で聞いた話を断定的に語る話者よりも、これは伝聞で多少ごにょごにょした部分はあるかも知れません、と提示する人の方が誠実だと思いません?