宗教

今読んでいる小説は1960年代に書かれた日本の小説で、明治期に興った新興宗教の話が描かれている。読み進めると「これは大本教の話だな」と気付いた。大本は京都の亀岡や綾部辺りから興った新興宗教で、以前に少し興味を持って調べたことがあった。戦前に国から弾圧を受けたことなどをその時知って、小説にもそのような話が出てくる。

新興宗教というとオウム真理教の事件が決定的だったと思うが、胡散臭いイメージが拭い去れない。しかし西暦ゼロ年に興る宗教があるなら西暦2020年に教祖が誕生して新しい神が生まれてもおかしくはないような気もする。しかし現代は二千年前と違って科学というものが発達している時代で、科学と技術の恩恵によって社会が豊かになっていることは疑う余地もない。その科学とどういう風に折り合いをつけるか、というか、科学と如何に整合性を担保するかは新しい宗教を興そうとするならば至難の業ではないだろうか。でも幸福の科学というのがあるか。彼等が教義でどんな風に宗教と科学の整合性をとっているのかは知らないけれど。

多くの人がそうだろうけれど自分もあまり宗教に熱心ではない。「あまり」と書いたのは、父母の命日にはお寺からお坊さんに来て貰ってお経をあげてもらう、くらいのことはしているので、これも一応は宗教活動だろうという程度。神様がいるとは思えないし死んだ後に地獄や天国があるとも思えない。

でも宗教に熱心な人を見ると少し羨ましい感じがしないでもない。近所の天理教のおばさんとか。何がしかの信仰があることによって日々の生き甲斐になったり辛さに耐えられたりするのなら信仰も悪くないとは思う。信徒間の助け合いみたいなものもあったりするのだろうか。

アインシュタインが神はいるとかいないとか言った、というようなものも何処かで読んだ気がする。検索すると

『科学』3月号巻頭言
アインシュタインは、ユダヤ教徒として育ったということが書かれている。
でもこんなのもあって

アインシュタイン、宗教は「子供じみた迷信」 ユダヤ教の選民思想も否定 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
手紙の内容は宗教を否定しているようだ。
天才でも宗教と科学の折り合いに悩んだのだな、と思う。

多分、自分はこの後の人生で強烈に何かの宗教を信じるということはない気がする。それは一応曲がりなりにも科学教育を受けたからだと思うし、呪術や奇跡が本当に起こせたり起こり得るものだとは到底思えないから。でもそういう考えの人があっという間に信仰の虜になったりするのかもしれない。でも多分そうはならない気がする。

特に脈絡も結論もありません。なんとなくそんなことを考えたという日記です