バッキー井上

バッキー井上さんの本『残念こそ俺のごちそう。そして、ベストコラム集』を読みました。

 

関西には『Meets Regional』という月刊誌がもう随分前からあって、どんなものかと言うと関西の飲食店が沢山載っている雑誌なのです。写真も綺麗だし、各号の特集も読み応えがあり、コラムも充実しています。この雑誌にバッキー井上さんは、コラムを連載しています。最新号は日本酒特集で、日本酒が美味しく飲めるお店が沢山掲載されています。こんな感じの雑誌です。


もっと昔の話をすると、いわゆるタウン情報誌というものは、どの街にもあったと思われますが、関西には『プレイガイドジャーナル』という老舗のタウン誌がありました。インターネットのない時代、映画や演劇、ライブやイベントの情報はそういう雑誌によって手に入れていて、自分も中学生の頃から『プレイガイドジャーナル』を読み始めて、映画好きだったので「あの映画はこの映画館でやっているな、時間は何時と何時」という風に利用していたのです。中島らもさんのエッセイなどが載っていたのを覚えています。
そこへ後発のタウン誌で『Lmagazine』という雑誌が出てきて関西タウン誌の2大勢力でありましたが、さらに『Q』という雑誌も加わりました。この『Q』はその後『ぴあ』になります。しかしやがて『プレイガイドジャーナル』が休刊し、ネットで情報が得られるようになると残りの2誌も休刊してしまいました。その『Lmagazine』を発行していた出版社が『Meets Regional』を出しています。『Lmagazine』よりもちょっと大人向きで、『Lmagazine』を卒業したら『Meets Regional』という位置付けでした。

バッキー井上さんは、その『Meets Regional』に30数年間に渡ってコラムを執筆しています。一度もお休みしたことがないそうです。京都の方で、今は錦市場の漬物屋さんのご主人で日本初の酒場ライターでもあります。『Meets Regional』を手に取ったら先ずバッキーさんのコラムを読むくらいに好きなのです。
随分前ですがバッキーさんが、あれは自費出版だったのかな、文庫本を出版する、京都の裏寺の『百錬』というお店で販売している、という情報を聞きつけて行ってみるとそこは酒場で、なんだか文庫本を買いに来ただけで申し訳ない、みたいなことを言ったら「いいんですよ」と店員さんが笑って本を差し出してくれたことを思い出します。

酒場の話がやはり書かれているわけですが、酒や肴のウンチクを語るというようなものではなく、酒場について書かれているのです。説明しても分かり難いと思うので、もう更新は止まっているようなのですがバッキーさんのブログがあるので読んでみられれば雰囲気が伝わるのではないでしょうか。

vackey.hatenablog.com

なんというかハードボイルドなのですよね。とはいっても刑事でも私立探偵でもないので犯罪は起きないのです。そして東京や横浜ではなく舞台は関西なのでゆるふわというか、可笑しみが滲み出ているのです。

 

酒場では男たちの佇まいというものが気になります。場に合う佇まいでなければいけません。
見知らぬ土地のマクドナルドに行ってもそわそわしたりおどおどしたりする人はいないと思うのです。この店はどういうシステムなのだろうか、どういう客層なのだろうか、そんなことをマクドで気にする人はいないので、まあ堂々と平常心でビッグマックなんかを食べていると思うのです。

しかし酒場というものは店の空気を読み取らねばなりません。初見の店でカウンターの奥の常連が占めていそうな席に座ったりせずに入口近くの席で「おじゃまします」という雰囲気で着席したり、いきなり手の混んだものを頼んだりせずに壁のメニューを一瞥してさっと出てくる肴を察知して頼んだり、店主にきなり馴れ馴れしく話しかけたりするのも遠慮しなければなりません。ふわふわして浮き足立っているのは避けたいものです。
そういう気遣いが面倒なので酒飲みは通い馴れた店に行くわけですが、そこで油断して饒舌になり過ぎたり、はしゃぎ過ぎたり、粗相をしたり、はたまた喧嘩したりしてもいけないわけです。そういうことがあった時にもう一度店に顔を出して「先日はどうもゴニョゴニョ」などと言える勇気があればお許しが得られて逆にいじられて愛されたりということもあるでしょうが、二日酔いの頭で昨夜のことを思い出して恥ずかしさに頭を抱えて「もうあの店には行けない」などと自己嫌悪に陥って次の行きつけを開拓する旅に男たちは出るのです。自戒を込めてそう思うのです。
酒を飲んでも必要以上に喋りすぎず相手の話に耳を傾け、意見を求められた時だけ経験に基づく的確な提言を控えめに差し出すような人は酒場でも佇まいがどっしりとしていて浮ついておらず密かに尊敬を集めたりするのです。

バッキー井上さんは酒場の酸いも甘いも知っている仙人のような人なのできっとスマートに飲んでいるのでしょう。そんな空気がコラムには密封されていて、ああこんな風な酒飲みになりたかったと思うのです。酒場で飲み過ぎてグラスを割ったり「女将さんは結構性格が悪いところがある」といったストレートな悪口を吐露したり、常連の客に「お前ホンマは前から気に入らんねん」などといった本音をぶちまけたりするような非スマートな飲み方をして後悔ばかりしている我々はバッキーさんのコラムを読み、憧れると共に自身を顧みて後悔したりして、それでも酒を飲むのをやめられなかったりするのです。