漫才
日付的にはおとつい、気分的には昨日の日曜日、漫才の大会M1グランプリがありました。毎年楽しみにしていて、テレビを持たない自分でもワンセグでなんとか視聴していたのですが、今年は仕事から急いで帰って来てやっと最終決戦のマヂカルラブリーとおいでやすこがの漫才を見れただけでした。最初から見たかったけれど、この2組どちらも面白かったです。笑わせて貰った。
毎年M1グランプリが終わるとお笑い批評みたいな記事がでてそれも楽しみのひとつで、こんなのもありました。
マジカルラブリーを擁護する記事。
毎年こんな話が出てくる。あれは面白いけれど漫才としてどうなのか、みたいなこと。私見を述べるなら、面白ければいいのでは?ということに尽きる。
漫才の王道、正統派というものは演者2人の言葉の掛け合いによるしゃべくり漫才だということに異論はない。そういうものは大好きで、第一回目の優勝者である中川家を筆頭にフットボールアワー、チュートリアル、ブラックマヨネーズ、銀シャリあたりは大好きなのです。昨年のミルクボーイもそうで、死ぬほど笑わせてもらった
でも漫才の目標はお客さんを笑わせることでしょう?その目的を達成するためにあらゆる手段を使っていいのじゃないだろうか。その為なら舞台上を転げ回ってそれだけでも笑わせたマジカルラブリーは凄いと思うんだけれど。
個人的にはおいでやす小田を応援していて、あの人ってR1の決勝に何回も出場してるのにそれほどブレイクせず、ラジオなどでもそのことでいじられていて好き過ぎる芸人さんなのです。それがM1の最終決戦まで残るって凄過ぎるから。
漫才に限らず「これはロックじゃない」とか「これはSFじゃない」とか「こんなのHIPHOPじゃない」みたいなこと言う人が一定数いるけれど「○○じゃない」とか言うなら○○の定義はどこでいつ決まったん?何年何月何曜日?地球が何週回ったん?って思う。○○の定義、みたいな公文書があるわけでもなく本人がそう思ってるだけでしょう?自分が思ってることを他者も共有していると思い込んでるだけでしょう?
もっと自由で良いと思うんですよね。誰かの思いこみでできたルールに縛られることなんてないんだから。そういうルールに縛られない自由な発想がそのジャンルを進化させるんだと思いますよ。どんどん定義が広がればいいんですよ。自由が一番なのだから。せせこましい縛りとかいらないと思いますよ。