人の気持ちが分からない
これを読んだ。
言わんとしていることは分かる。どこまで推し量れば他人の気持ちを分かったと言えるのかということは自分も考えたりしたことがある。
そもそも推し量ったに過ぎない他者の気持ちを「分かる」と判断していいの?それ分かったって言わなくない?スゴイ=シツレイにあたらないですか?でも一般的にはそれで「人の気持ちが分かる」とされる。それが不思議で、いまだに自分の社会的齟齬が生じているように思える。
他人の気持ちを推し量った結果「分かった」という軽率な人と「一部分に関して分かった」という慎重な人がいるという事で、この増田さんは慎重な人の部類なのだと思う。
いや、人の気持ちを推し量ること自体はできるんですよ自分にも。でも100%にはならないじゃないですか、例えばAIによる物体認識でも「30%くらいキツネ、70%くらいイヌ」みたいに見解を示すじゃないですか。そのときって確定できないですよね?「わかった」って言えないですよね?本人に確認しないと。
気持ちなんて100とか20見たいに数値で数え上げられるものではないから「100%」みたいな割合を提示しても無駄でしかない。「分かった」なんて言葉は傲慢でしかない。
「本人にする本人の気持ちが正確には分からなかったり」するものだと思います。人に悩み事を相談してすっきりするのは、相談相手と会話を交わすことで自分の気持ちや考えの輪郭がはっきりするからだと思います。私は人に相談なんかしませんけど。
「ひとのきもちがわかる(100%とは言っていない)」というのが一般的な意味合いなんですか? なんで100%じゃないことに自信が持てるのでしょうか。
一般的にはみんないい加減なんだと思いますよ。何事かについて「分かった」と言っているひとに各種質問をぶつけると案外分かっていなくて、輪郭を捉えただけでその人は分かったつもりになっていたりするから。
世の中はテキトーです。それに合わせるのがしんどい人もいるし、俺もその一人だと思うけれど、世の中はテキトーです。そう思って生きるしかない。