尾崎豊
今の若者が尾崎豊「15の夜」を聴いて、「盗まれた側の気持ちしか分からないし、分かりたくない」となるとしたら問題なのか - Togetter
尾崎豊には何の思い入れもないなあ。1ミリも好きだったことない。
「今の若い人は尾崎豊の「15の夜」を聴いてもバイクを盗まれた方が可哀想と思う」みたいな話。それ自体は「当然だろ」と思うのだが、もしそれが「盗まれた側の気持ちしか分からないし、分かりたくない」であれば、結構問題なのではないか…と、今ふと思ったり。
— … (@madanaizo) 2020年12月25日
ということですが
盗んだバイクで走りだす
の個所の話ですけど、発言者の意図としてはバイクを盗んでまで走りださないと気持ちがおさまらない若者の鬱屈した気持ちに思いが至らないだろうか、みたいなことでしょう。まあそういう歌ですしね。
罪をおかした側の気持ちに思いを馳せるということはありますよね。『FBI心理分析官』という本がベストセラーになって、一時期は猟奇殺人者のブームみたいのものが昔あったけれど、あれも大量殺人を犯す犯人の心には何があるのかみたいな話だし。まあ罪を犯す事例としては極端かもしれないけど。
検索すると『15の夜』のリリースは1983年の12月らしい。18歳で高校三年生の時か、その頃何聴いてたのかなと思うとYMOとRCサクセションだった気がする。あとスターリン。
スターリンは衝撃的だった。特に『先天性労働者』。聴いて「マルクスやん」と思ったから。
昔から右翼とか左翼に興味があって高校生の頃にはそういう本を読んでいた。連合赤軍の書物は、山岳ベースの件になるとホラー小説のように恐ろしく、実録ものの恐い話のような興味もあった。三菱重工爆破事件を起こした東アジア反日武装戦線にも興味があって、彼の事件は自分が子供の頃だったけれど夕方のニュースで見たことを鮮明に憶えている。
こういう人達は今で言うならテロリストと断罪される人たちだろうけれど、そのような行動に思想に傾く彼等の気持ちに思いを馳せることはある。20代になってから東アジア反日武装戦線を描いた『狼煙を見よ』という書籍を読むと彼等が如何に優しい若者たちで、その優しさが反転して極端な思想と行動に及んだことが読みとれたりもした。
後に新右翼の鈴木邦男や野村秋介の書物を読むことになるのもそういう流れだった。
なんでそうなったのかというと両親が左翼だったからに他ならないと思う。うちの両親は大学は出ていないけれど日本の学生運動の激しい時期と親の若い時は同じで、両親ともに職場で労働争議などの現場に出ていたことを聞いている。写真も幾つか残っている。
そんな親の家庭だったのでそういうことに興味を持ち始めたのだと思う。よくわからないままに共産党宣言など読んでみたりしていた。そして右翼と左翼とどっちが正しいのだろう、などと思っていた。
そんな時期に聞いたスターリンは本当にびっくりした。ひねくれているのを通り過ぎていて、あるゆる方向に唾を吐きかけてるような感じ。中学生の時にラジオから流れてきたSEX PISTOLSやCLASHでパンクの洗礼を浴びた身には、もう格好良すぎた。
そんな高校生だったので尾崎豊みたいな、あまりにもど直球というか素直過ぎる青春の歌は屈折の角度が浅すぎて物足りなかったのかも知れない。まあ高校3年生ぐらいだと誰でももうちょっと屈折してますよね。