メリー・バッド・エンド

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【メリバ】という言葉を初めて知った。メリー・バッド・エンドの略語で和製英語のよう。

メリーバッドエンドとは、物語において、主人公当人にとっては幸せであるが、その周囲の人や読み手からはそうではないと思われる結末、またそういう結末物語を指す言葉。「メリバ」と略称することが多い。小説漫画アニメゲームなどのファンの間で用いられる俗な言葉である。

 メリバの意味や定義 Weblio辞書

ということのようです。

冒頭のリンクの文中にあるような「泣いた赤鬼」は分かり易いのかも。
主人公に感情移入しているぶんにはハッピーエンドの物語だが、物語中の周辺人物の立場になって物語を味わうとバッドエンド、若しくは必ずしもハッピーエンドではない、というものを言うみたい。

しかしそういうものは日本だけに限らないのではないだろうか。イソップ童話でもグリム童話でもそういうのはありそうな気がする。イソップ童話の『アリとキリギリス』だってアリにとってはハッピーエンドだがキリギリスにとってはバッドエンドなわけで、そういう説話は日本に限らないだろう。

【メリバ】という言葉とその意味を知って最初に思い出したのは映画『卒業』でした。

www.youtube.com若かりしダスティン・ホフマンが主演した映画で、アメリカ映画の名作とされている映画だけれど、映画の終盤に元恋人が結婚しようとしているその結婚式に主人公は闖入して彼女を奪い去るという有名な場面がある。
主人公と元恋人に感情移入するならばこんなにドラマチックな場面はない。でもこの映画を初めて観た時には「新郎が可哀想過ぎる」という感想だった。新郎の立場に立つなら、彼女と愛し合って結婚しようとしていたのに、彼女は前の彼氏にまだ未練があって、そ奴が結婚式にやってきて彼女を奪い去ってしまう、親類縁者が集まった結婚式を滅茶苦茶にされて大恥をかかされる新郎の立場にたつならこんな悲劇はないと思う。

映画に限らず物語というものは誰に感情移入するか、どう解釈するかで味わいが変わる。作者の意図した結末や教訓などはあるだろうけれど、受け手は自由に解釈して構わない。小説家の筒井康隆は、読者には誤読の自由がある、とさえ言っている。(筒井は、作者には誤作の自由もあるとも言っている)
学生時代の国語の授業のように「作者の言いたいことをまとめなさい」という問題は文章を読んでその要点を掴むというトレーニングだから、それ自体は大事なことだけれど、大人になって物語を楽しむ時には受け取り側の人生経験みたいなもので物語の味わいや解釈は変わる。それでいいと思ってる。そういう考えで映画や小説を楽しんでいる。