苦み
少年期を過ぎたならば、アニメやゲームという非現実の世界からは完全に手を引かなければならず、さもなければ、自立や自律とはいっさい無縁な、不気味極まりない子ども大人として異様にして異常な人生を送るだけならまだしも、社会全体と国家全体を尋常ではない集団に仕立て上げ、暴力の狂気を迎える。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2020年12月1日
丸山健二さんは小説家らしいです。存じ上げませんでしたが。
まあ、ツッコミとしては「小説も非現実じゃございませんか?」となるでしょうね。
所謂「アニメ」は全くと言っていいほど見ないんですが、ストップモーション・アニメーションとかパペット・アニメーションというものは好きでずっと見続けていて、その手の作品が映画館で公開されれば必ずといっていいほど観に行きます。人形が動くタイプのアニメーションですね。
去年だったか一昨年だったか『僕の名前はズッキーニ』というヨーロッパの人形アニメーション映画が公開されて観てきました。物語は、孤児院で育った少年少女のお話でして、彼等の悲喜こもごもを描いたものがとても感動的でした。
www.youtube.comアニメーションというのは非現実的な描写に長けているのでファンタジー、SFに向いているのだけれど、この話は「実写映画でも撮影可能なんじゃないの?」と観終わって思いったのだけれど、よくよく考えて、やっぱりアニメーションだったから良かったのだなと思いました。
実写映画だと生臭い、というかリアル過ぎるんですよね。孤児院の少年少女の話は、悲し過ぎるんです。でもアニメーションで描くことで一種の寓話になって純化されて受け止めることができる。アニメもそうだと思います。
そういう純化されたものだけでなく、世の中の、世界の汚い場面や息苦しさも描いた文学作品にある程度の年齢になったら接するべきだというのも分かる。でもバッドエンドの映画は観たくない、ハッピーエンドの映画しか観たくないという人がいるように、わざわざ娯楽の場において苦い現実を見たくないというひとがいるのも事実。自分はそうは思わないけれど。
よく思うのは味なんです。大人になったら「ほろ苦い」とか「苦み」みたいなのも美味しさとして捉えられるじゃないですか。子供はピーマンが嫌いだけれど大人になると美味しく食べられるような。子供にはビールの美味しさは分からないでしょう?
娯楽作品もそうで甘味だけじゃなく苦みも欲しい人はそういう作品を求めるけれど、分かり易い甘さや辛さだけでいい苦みはいらないと思う人は、そういう作品を好むんじゃないですかね。
自分としては、苦みも味わえる作品が好きだけれど、そうじゃない人がいるのも否定しないし、子供の舌だと馬鹿にするつもりもないです。所詮娯楽じゃないですか。好きなものを摂取すればいいのだと思います。