歌謡曲

忙しいんですよ、仕事が、なんでこんなに薄給で睡眠時間や生活の隅々まで削って働かなければならないのかと日々自問自答したりしながら生活、というか働いているわけですが、ちょっと言うとかなあかんことあるのでキーボードをカタカタやってみるわけです。それはこれ。

2020年代になって日本のポップミュージックが急激に歌謡曲化している、その理由 (2021/03/20) 山崎洋一郎の「総編集長日記」 |音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)

音楽評論家の方の記事です。要旨は

今の時代も、スタイルはロックやポップやヒップホップだとしても、そこに乗って流れているのは歌謡曲のメロディーであり、そのメロディーの大衆性こそが今でもヒットの最大の要因になる。

この傾向が、最近さらに急激に強まっていることにみなさんお気づきだろうか。

ということのようです。

今更何言うてはるんですか?日本の国内向けのドメスティックな音楽はみんなそうでしょう?今更何を言うてはるんですか?音楽評論家ってその程度の見識なの?

あのね、日本は演歌の国なの。演歌というジャンルは近代に作られたジャンルだけれど、それは邦楽(尺八とか三味線とかの音楽を想像してください)とか民謡だとかを受け継いで大衆音楽化した音楽を総称したものなの。JーROCKなんて言われるものは演歌のロックバージョンなの。

例えば、BUMP OF CHICKENRADWIMPSの曲には、歌謡メロはほぼ無い。
エルレガーデンアジカンやワンオクの曲にも、歌謡メロは全くと言っていいぐらいに無い。

 そんなことないですよ。彼らの曲を細川たかしが歌えばそのスピリットに演歌が流れていることが分かるはず。鳥羽一郎でもいいけど。
みんな演歌をギターとベースとドラムのロックバンド編成で演奏してそれらしくしたものでしょう?みんな演歌。泣きが高揚に直結していて酒場と港の世界が他の場所と人にずらしているだけ。演歌。なんでそんなことが分からないのか。

そして今の日本の、めちゃくちゃハイスペック化してハイブリッド化した歌謡曲は非常に面白いと、歌謡曲嫌いだった僕は最近思うのである。

 5周ぐらい周回遅れじゃないだろうか。いや200周くらい。
近田春夫なんてもうずっとずっとずっと前から筒美京平を評価してた。日本の歌謡曲を評価してた。それに比べたら周回遅れも甚だしい。そんな見識が音楽評論家を名乗る人から表明されるなんて。

謡曲、演歌の素晴らしさというのはあるんですよ。そしてそういうものが日本国内では絶大な人気があるんですよ。それでいいやん。日本なんだから。でも英米のロックと言われてるものとは違う。でもいいやん。色んな方向に進化して人々を楽しませるんだから。演歌をなめたらいかんと思うよ。日本人の遺伝子に組み込まれている何かがあると思うから。