安酒

日々安い酒を血眼になって探している。血眼は言い過ぎか。血は出てないです。目からも他のところからも。大袈裟でした。

そんな自分には気になるこんな話題がはてなブックマークでありました。

togetter.com

まあ2,000円前後とか言ってる時点で上級国民ですよね。富裕層か!ってツッコミが入ります。我々が求めているのは1,000円以下でベロベロに酔える酒なのです。かの中島らも氏も「せんべろ」と、千円でべろべろに酔える店をそう呼んだのだから。

上記リンク先の内容だとサントリー角はスーパーで1,200円くらいだからちょっと頑張ったときのご褒美のものですね。安定の品質です。滅多に買わないけど。サントリーの白角なんて高級品ですよ。
カティサークは安いけど酔い覚めが非常に悪い。安酒を見極める基準として翌日に嫌な感じが残るか否かというのは非常に大きいのです。トリスクラシックも安いけど、明日のことを考えないなら飲んでもいい、くらいのもの。
その点、安酒の中ではTeachar'sは優秀。1,000円以下で買えて酔い覚めも爽やか。金額と酔う度合いと酔い覚めの3者を総合的に判断しても優秀。

しかしウィスキー、バーボン、ウォッカ、ジンなど強い酒で手っ取り早く酔って、今日あったことを全て早急に可及的速やかに忘れたい、みたいな呑み方をしていた私ですが、最近は安ワインを呑むことを覚えました。こっちの方がコストパフォーマンスは高いのでは?という判断です。

今日の酒は

f:id:classicstart:20210124180559j:plain

スペインのワイン、DON ROMERO BLANCO。やや辛口らしいですが、ワインの辛口というのはこういうものか、って感じです。

ワインを呑むようになって、リカーショップに行くとワインってこんなに種類があるのかと思う。今まで知らなかった。で、そこから好みのワインを選びたいという欲望が生まれるわけです。酒のためなら多少の労力は惜しまないですよ。酒飲みですから。
で、こんな本を

f:id:classicstart:20210124181146j:plain

ああ、ボルドーとかブルゴーニュとかシャブリとかリースリングとか知識が面倒くさい。俺は安くて酔える酒が呑みたいだけなのに。

知らんけど

関西人、というか大阪人ですかね。「知らんけど」を話しの末尾につける文化について

news.yahoo.co.jp

関東の方が「知らんけど」についての戸惑いと納得が記されています。

共通するのは、結局の所は知らないということだ。真相はどうなのかはさておき、積極果敢に会話を展開して場を盛り上げようとする意欲がにじむ。

 「結局は知らない」ということでもないんですよね。
そういう場合もあるけど。あやふやな出元の情報を拡散するのを押し止めるための「知らんけど」と、十二分に知ってはいるけれど、そんな知識を披露した自分を賢い人のように振る舞ったことに恥じらいみたいな感じがあるんですよね。

実はよく知らないことでも面白おかしく話を展開して最後に『知らんけど』と付け加えることで、免責を得たい意思表示でもあると言えます

免責ってのはあると思います。友達の友達の親戚の親の兄弟の友達の話を、自信を持って「こういうことらしいで」と話すのは不正確じゃないですか。面白い話は伝聞で伝わってくるものだけれど、そういうことに対する流通経路はかなり遠方ですという意味での免責というものはあると思うんですよね。

話を面白くするためには「盛る」といった誇張する行為があると思うんです。それを自覚してるからこそ、この話は多少盛っているかもしれませんよ、という意味合いの「知らんけど」もあると思うんですよね。盛ることは私にもあるし他人にもあり得る、だってその方が面白い話になるから、という自覚がそう言わせるのかもしれません。

伝聞で聞いた話を断定的に語る話者よりも、これは伝聞で多少ごにょごにょした部分はあるかも知れません、と提示する人の方が誠実だと思いません? 

 

ラジオDJ

若宮テイ子さんが語る六甲の街について

suumo.jp

記事の中ではジーン長尾さんの名前もでていたりして関西在住の古株ラジオリスナーなら反応してしまうんじゃないでしょうか。お二人とも語りと共に声が好きで、聴けばすぐあの人と分かる方々だと思います。

FM802やFMCOCOLOを聴くことが多いのですが、一番好きなラジオDJはマーキーさんです。昔はマーキー谷口と名乗っていたんじゃないかしら。

マーキー|DJ|FM COCOLO

FM802開局当時からDJを担当しておられたと思います。今は平日の夕方の帯でその声が聞ける。仕事帰りの車中で聴くことが多いです。
マーキーさんは関西の言葉で喋るんですよね。それが良い。ローカルなラジオはその土地の方言で話すのが良いと思ってます。
インターネットのおかげで地方のラジオも聴けたりしますが、標準語で話している番組は、その地方の色が出ているとは思われない。逆に、北海道の番組を聴いて、見知らぬイントネーションや言葉が聞こえてくると、ああ北海道の番組がここまで届いているんだなあという感慨があります。
それと、マーキーさんの喋りはある種の軽さとある種の貫禄があるんですよね。安心して聴いてられるし、語り口が面白い。選曲も意外な曲がかかって好きになったりすることも多いし。

地方それぞれに人気のラジオDJっているのだろうと思うし、なんでもかんでも中央の大物タレントのラジオに駆逐されてしまうのも悔しい。ローカルなものを大切にしたいです。

YOASOBI

音楽の話。

www.youtube.com

YOASOBIという人たち(人?)バンドなのかソロなのかも知らないけれど年末の紅白に出たとか出なかったとか、いや出たんですよね?見てないから知らないけど。でもこの曲はFM802で流れてくるので知ってる。耳馴染みの良いJ-POPなのかなあ、くらいの知識しかない。

という 音楽評論家の宇野維正さんのツイートを起点として

音楽評論家に聞きたいんだけど「ショボい音色・音圧」ってなに?

が、はてなでは少し盛り上がっていた模様。事情通なのか

「プリセット・低音圧」批判とかいう「今時Flash使ってないサイトとかw」的議論

みたいなものもありました。

要は、YOASOBIの曲の音色・音圧に関して悪いとか、いや今どきはこうだとか、そんな議論。

音色に限定して言うならば「その音色が好きならばそれで良し」に尽きると思う。
テレビで1万円のヴァイオリンの音と1億円のヴァイオリンの音を聞き分けられるか、みたいなバラエティ・ショウがあるけれど、チープなものの方が好みならそれで良し。以上。解散。ということだと思います。

自分はガレージ・パンクというジャンルの音楽が好きなのです。家の車庫で練習してるような兄ちゃんたちがレコード出したようなパンクバンドです。なので音質も練度も最悪。だけどそこが愛おしい、みたいなジャンルです。ギターウルフの初期作とか聴けばいいとおもうけど、あの音質に燃えるみたいなところがあるんですよね。音質悪いの最高。
だから質が良いこと=良い物だとは思ってないのです。質の悪いものを好む嗜好というのもあるから。
テクノだってファミコンみたいな音のロウファイなテクノもあるし。そうLo-Fiなんですよ。キーワードは。
シンセサイザーの音だって凝ったものも良いし、プリセット音(工場出荷時にセットされてる音色)を使って雰囲気を醸し出してるものもある。NONA REEVESの曲なんかにもそういうのあって、そこでは80年代っぽさが醸し出されてる。それが良い。
音色の好みなんて人それぞれだし時代によって変わるのだから。以上。解散。

でももうちょっと言いたいことがあるので書きます。これをお聴きください。 

www.youtube.com

これもFM802でよく流れてた。

前述のYOASOBIの曲もそうだけど、ここらへんの曲を聴くとみんな「アニメのオープニング曲?」みたいに思う。キャラクターが次々登場して、監督誰それ、作画誰それ、みたいなスタッフロールがでてくるのが目に見えるよう。そしてサビの盛り上がるところで主人公の活躍シーンみたいな。アニソンに聞こえる。

この2曲だけじゃなくてラジオから流れてくる最近のJ-POPを聴いてるとみんな「アニメのオープニング曲?」みたいな感じがするんですよね。そういう構成が流行ってるのかなあ。良い悪いじゃないけど最近の曲を聞くたびにそんな感想を持っています。

 

短歌投稿サイト

少し前から短歌に興味を持ってネットで色々見てる。

これは短歌の情報サイト

tankaness.com

これは短歌の投稿サイト

utakatanka.jp

これは短歌のフリーペーパー

www.utalover.com

 

情報を仕入れるのも大事だけど投稿サイトに投稿してハートがついたりするととても嬉しい。こんな短歌を詠みました。

異次元へ繋がるうちの洗濯機 片方だけの靴下は行く

 

電池

amazonから注文していた商品が届きました。

f:id:classicstart:20210119214931j:plain

大きさの比較のためにチキンラーメンを置いてみました。

注文していた商品はこれです。

f:id:classicstart:20210119215040j:plain

電池です。
大きさの比較のためにチキンラーメンを置いています。

あるあるですがamazonの過剰包装はいまだ続行中の模様です。

都会の空

anond.hatelabo.jp

東京暮らしている人には、この「空が広い」という意味がわからない人もいるかもしれないけど、そこに見える空と山は本当に広く、新鮮に心に響いた。

東京で数年過ごした人が田舎に帰って空の広さを実感したという話。だいぶ分かる。東京は高層の建物があるだけじゃなく密集した都会なので上を見上げてもそのフレームに何かしらの建物があるんですよね。全面空なんて高層ビルの屋上じゃないと味わえないかも。

仕事の出張で3ヶ月ほど東京の世田谷区に仮住まいしたことがあるけれど、その時思ったのは都会の底で暮らしている感覚だった。谷底に住む人がいつも周囲の山の斜面が迫ってるような感じかだろうか。なんだか埋もれていく感じ。
大阪の市内で暮らしたこともあるけれど淀川という広い川の傍で河川敷にいけば広い空があった。こういう場所がないと自分には閉塞感があるなと思った覚えがある。
あと、東京は山が見えないのですよね。関西に住んでいるとどこでも山が見える。大阪の中心部からでも生駒山は見えるし、神戸は六甲、京都は比叡山が見える。山が見えないのはなんだかとても関西人にはきつい。

都会の底で暮らしていると、そこから這い上がろうというような気持ちになるんじゃないだろうか。意識高い系なんて言われる人たちがいるけれど、あれも都会の底から浮かび上がって何者かに成りたいという気持ちのあらわれじゃないだろうか。そんな気がしているのです。