都会の空
東京で暮らしている人には、この「空が広い」という意味がわからない人もいるかもしれないけど、そこに見える空と山は本当に広く、新鮮に心に響いた。
東京で数年過ごした人が田舎に帰って空の広さを実感したという話。だいぶ分かる。東京は高層の建物があるだけじゃなく密集した都会なので上を見上げてもそのフレームに何かしらの建物があるんですよね。全面空なんて高層ビルの屋上じゃないと味わえないかも。
仕事の出張で3ヶ月ほど東京の世田谷区に仮住まいしたことがあるけれど、その時思ったのは都会の底で暮らしている感覚だった。谷底に住む人がいつも周囲の山の斜面が迫ってるような感じかだろうか。なんだか埋もれていく感じ。
大阪の市内で暮らしたこともあるけれど淀川という広い川の傍で河川敷にいけば広い空があった。こういう場所がないと自分には閉塞感があるなと思った覚えがある。
あと、東京は山が見えないのですよね。関西に住んでいるとどこでも山が見える。大阪の中心部からでも生駒山は見えるし、神戸は六甲、京都は比叡山が見える。山が見えないのはなんだかとても関西人にはきつい。
都会の底で暮らしていると、そこから這い上がろうというような気持ちになるんじゃないだろうか。意識高い系なんて言われる人たちがいるけれど、あれも都会の底から浮かび上がって何者かに成りたいという気持ちのあらわれじゃないだろうか。そんな気がしているのです。
神戸
ははは、ライトの写真載せたって全く意味がない。でも載せます。意味がない方が面白いから。
写真だとライト以外は暗い感じだけど、以前の蛍光灯の灯りよりもずっと明るくなった。なんだか部屋が広くなったような感じがする。なんでもっと早く取り替えなかったのだろうと思うくらい。良い買物をした。
照明って凝ると面白いのかも知れない。空間演出的なことが自分の部屋でもできて。流石に映画やドラマに出てくる格好良い間接照明の部屋みたいなのはやりすぎだと思うけど。だって本読むのに目が悪くなるでしょう?子供の時に「もっと明るいところで読みなさい」って母親に注意されなかった。あと漫画ばっかり読んでないで他の本も読みなさいとか。まあ余談です。余談ばっかり思い浮かんでしまって。
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今日は神戸で大きな地震があってから26年ということで、そこかしこでかつての震災を語る文章が見られた。当事者ではないので語れることは少ないけれど大好きな神戸が大きな傷をおったことは当時でも大変ショックだった。
神戸ってやっぱり関西人にとっては特別な場所で、京都人と大阪人は仲悪いけど(笑)、神戸のことを悪く言うひとはいないんだよね。
— 岸政彦 (@sociologbook) 2021年1月16日
山と海に囲まれて、中華街や旧居留地もあって、あんなに美しい街はない。
学者で小説家でもある岸政彦さんのツイート。
そうなんですよね。関西人にとって神戸というのは、なんとも言えない街なのです。海と山が限りなく接近していてその間に華やかな街がある。大阪からだと武庫川を超えると阪神間の品の良さが香ってくる。
三宮から元町あたりの繁華な街も楽しい。個性的なレコード屋があって、なによりもジュンク堂の三宮店が素敵で、ここに行くといつも良い本と巡り合う。
元町から西の庶民的な街も、雑多だけれど大阪のそれとは違う神戸としか言えない雰囲気があって楽しい。
そして食べるものも酒も美味しい。店だけでなく街をぶらついてもその街並みと人々は大阪や京都と違う味わいがある。そんな神戸って関西人には誇らしい街でもあります。でも26年前か。よく復興したものだなと思う。神戸は時々しか行けないけれどとても好きな街です。
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CDプレイヤーが壊れているのに新しいCDを買ってしまった。どうあってもプレイヤーを起動する必要がある。だって買ったCDが聴けないから。人は必要に迫られたときに実力を発揮すると誰かが言ったとか言わなかったとか言わなかったかも。
安野光雅
安野光雅さんがお亡くなりになったそうです。
安野さんの絵が好きだった。特にだまし絵やトリックアートと言われるような絵が好きだった。
子供の頃にドレミファブックという絵本が家にあって、絵本とレコードがセットになっているものでした。童謡と絵本の朗読が収録されたレコードを何度も何度も聞いた。この中に安野光雅画の巻があって思い出深い。
たぶんエッシャーを好きになったのも子供の頃に安野光雅の絵に触れていたからではないかと今になって思う。
大人になってからも『津和野』のような淡い色彩で描かれた絵が好きで機会があればよくみていた。山陰へ旅行に行った時に津和野に寄ったのもあの絵の場所はどんなところか確かめに行ったようなものかも知れない。
大変お世話になり少なからず心の底に影響を受けた人でした。
ファミチキ
コンビニにはお世話になっている身だけど不要な物はなるべく買わないようにしていた。ああ、あれもこれも食べたいけれど我慢我慢、みたいな感じで。
しかし少し前に食べてしまった。ファミリーマートの揚げ物チキン略してというか正式名称がそうなのかファミチキ。
妙に美味しくて癖になる。ファミマに寄ったら買ってしまう。寄らなくても用事がなくてもわざわざ行って買ってしまう。何か常習性のある覚醒的なものが入っているのではないかと疑ってしまうほどまた食べたくなる。
で、ファミチキで検索してみたりするわけですが、こんなのがあった。
ホントかな、と思ってしまう。家で揚げ物は一切作らないので真偽を確かめる術はないのだが、以前にハッピーターンのあの魅惑の粉を再現できるというレシピを見て実際にやってみたことがあるがそれほどでもなかった。本家ハッピーターンには程遠い出来で逆に亀田製菓の力量が恐ろしかった。
お店で料理を食べた時に「この料理はあれとこれが味付けで隠し味にあれだな」みたいなこと言う人がいるけど、確かに舌の感覚が優れている人っていると思うんですよね。手先が器用な人がいるように舌の感覚が鋭い人がいても不思議じゃないから。
でも自分はそういう人じゃない。残念ながら。しかしハッピターンの本物とイミテーションくらいは分かる。分かったからってなーんにも得はないんだけれど。
田中邦衛
川上未映子さんが
おれはもう邦衛スタイル
とつぶやいておられる。
毎日同じ格好で仕事して、移動は息子の学校と仕事場のみ。毛染めにも行けずニット帽とジャンパー、電動自転車にノーメイク。鏡に映った姿を見て「誰かに似てる…」と思ったら「北の国から」の田中邦衛さん。おれはもう邦衛スタイル。ジョブズではなく邦衛。私の今の生活、この4枚で完全に表現できる。 pic.twitter.com/MabAzKbTrv
— 川上未映子 Mieko Kawakami (@mieko_kawakami) 2021年1月14日
田中邦衛が『すべて真夜中の恋人たち』のような小説(傑作かつ感動的で名作で泣いてもうた)を書いたわけもないので川上未映子=田中邦衛ではないと断言したい。でも本人がそう言ってるんだからそうなんかもしれません。
で、ですね、田中邦衛ですよ。
皆さんは田中邦衛をどの時点で認識しました?デビュー作から注目してました?そんな人は多分あまりいないと思うけど、加山雄三の若大将シリーズで演じた青大将?それともヤクザ映画?やっぱり『北の国から』でしょうか。世代によって違うでしょうね。
自分が田中邦衛を認識したのはやっぱりテレビドラマの『北の国から』。朴訥で頑固と言えば頑固、物語の中心にいた人物で、高校生の頃にこのドラマに出会った。根っからの善人という役どころで、熱心に見てた。
で、20代になって『仁義なき戦い』などを観るわけですよ。このシリーズが73年前後だから俺8歳、リアルタイムでは観てないものをビデオで見るわけです。そこで繰り広げられる悪行もさることながら田中邦衛の役どころがとても小狡いヤクザなんですよね。あの朴訥とした自然と共に生きる『北の国から』の田中邦衛のイメージがガラガラと崩れたのです。
でもね、それって俳優としては素晴らしいことだなということにも気づいた。同じ人なのに違う人に見えるって凄い俳優だな、と。
また映画にでて欲しいな。好きな俳優だから。どんな卑怯な役でもなんだか憎めない魅力があった。俳優の生きてきた時間と自分の人生の時間というのはシンクロしてると思うから。