知事からのメッセージ

読んだ。

知事からのメッセージ 令和2年12月10日 | 和歌山県

和歌山県知事が現在のコロナの状況について書いたもの。言葉は選んでいるが大阪(府知事)の無策に対して警句を発したものになっている。

読めば分かるけれど文章から知性が滲み出ているのが読み取れる。“知性が滲み出ている”なんて書くとなんだか上から目線のようだけれど「ああ、この人は賢い優秀な人だなあ」というのが分かる文章なのだから仕方ない。

インターネットが普及して以来、文章で何がしかを表現することを曲がりなりにもやってきた。それはSNSだったりブログだったりカクヨムだったりしたけれど、あまり上手くならない。その多くは自分の考えや思いを文章にして書き連ねたものだけれど、自分で書いたものを自分で読んで良い文章だと思えたことがないし、感情の思考の数パーセントしか表現できてない気がするから。

文章は、その人の人格が滲み出るものだと思っていて、知的な人の文章はやはり分かる。それは自分がそれを判別できるということではなく、自分にはこういう風に書けないなと思うからそう思う。
自分の文章で言えば飽きっぽいというか胆力がないというか、書いてる内に飽きて投げだしているみたいな、そんな印象がある。
以前、敬愛するNONA REEVESの西寺豪太氏が「本を一冊書くのはもの凄く体力が要る」と言っていて、ちょっと分かる気がした。
何事かを表現し正確に伝える為には、概容から細部までを書き連ねなければいけないけれど、その仕事量はなかなか大変で、それを遂行する為にはやはり胆力が必要だ。仕事でも諦めが早い人は良い仕事ができないから。

と、ここまで書いて「もういいか」みたいな気分になった。もう少し書き連ねるべきかもしれないが、酒も飲まなければならないし夕食も摂らねばならない。そして早く寝て明日の仕事にそなえなければならない。決して胆力の問題ではなく外的要因だという言い訳にしておく。