私観

日本のハードコア・パンクに関する本を読んだ。

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DEATH SIDE/FORWARDなどで日本のハードコア・パンクの渦中にあったISHIYA氏によるジャパニーズ・ハードコアの歴史を綴った本。

日本のハードコアの歴史を語るというのはそう容易いものではない。様々なバンドがいてそれぞれの音楽を追求していて、それら全てを網羅するということは、端的に言えば不可能なのだから。ISHIYA氏は東京にいて、そのシーンを見て体験しただろうが、地方には地方のバンドがいて、それらを本書では紹介してもいるが、取り上げるべきあのバンドもこのバンドもいる。東京からの視点で観測できない場面もある。
筆者は、タイトルに「私観」と付けていることからもそのようなことは分かっていて、誠実な態度だと思える。

岸政彦と柴崎友香の『大阪』を読んだ時も思ったが、その時のその場所をどう語るかという問題は常にあると思う。
大阪をどう語るか。それは自分の記憶にある大阪を語るしかない。だってそれが自分にとっての大阪なのだから。
同じようにハードコア・パンクのシーンを語るのに自分が見て体験したものを素材として語るのは何も間違っていない。大阪に住んでハードコアを好きだった人間からすると「それは東京からの視点でしょ?」となるけれども、何もかもを俯瞰して語ることなどできないのだから。

そう思うとあらゆる著述は私観なのかも知れない。学術論文のような私情を廃して極力公正で公平な物の見方を設定しているものを除けば、我々の語るものは全て我々の観測範囲からその延長線で世間一般を推し量り語るものかもしれない。そういう意識がないと観測範囲を延長して世界はこうなっていると断定するような幼いものになってしまうだろうけれど、自分の見たものは事実として、その延長線上に同じものがあるとは限らないという意識は常に持って置かなければならない気がする。

袴道橋

なんとなく読み方を正確に知らずにそのままにしている漢字の言葉って誰にでもあるのではないだろうか。自分にはある。本を読んでいても読みが分からないながらも意味は分かるのでそのまま読み進めたり。いちいち辞書をひいてみればよいのだろうけれど、そういう手間をかけずに放置している。

「袴道橋」という漢字もそのひとつ。道路を跨ぐ橋でそういうものは車を運転していればあちこちにあるけれど、「はかま」という漢字は分かっても正確な読み方は今日まで知らずにいた。「はかまどうきょう」と勝手に読んでいた。

今日、そういう橋のたもとで信号待ちしていたら橋に埋め込まれた銘板に「こどうきょう」とひらがなでかいてあった。そうか。こどうきょう、と読むのか。

ひとつ漢字の読みを知った。知らないことはまだまだある。

THE CITY RALLYIST

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YouTubeで車関連の動画をよく見ている。なかでもこれは格好良いと思えるのが先に挙げた動画。韓国製の動画だと思われるが日本車、それもスバルのWRXを駆って都市で密かにタイムアタックをするという内容になっている。

なぜ自動車が好きなのか。分からない。でも自動車が無闇と前進しようとしてあらん限りのパワーでトルクを創出して地面を蹴っている姿を見るのが最高に気持ち良い。
レースでいえばF1よりもWRCの方が好きだ。公道をあり得ない速度で疾駆し、あり得ない速度でコーナーを駆け抜けていく。サーキットのような整備された場所ではないリアルな道をレースの場としているWRCに魅力を感じる。

日本が景気が良かった頃の日本車はJDM(japan domestic market)つまり日本国内向け仕様の車として海外でも人気がある模様で、その手の動画はYouTubeを検索すれば沢山見られる。景気がよく軽いスポーツタイプの車が多く作られたことによるものだと思う。日産のスカイラインやシルビア、トヨタスープラ、ホンダのシビック、挙げれば枚挙にいとまがない。

やはり自分の車が欲しい。こんなに車が好きなのに会社に与えられた軽自動車にしか乗れないのは悲しい。 気に入った自分の車で夜の街を流したい。そのくらいのこともできないでいるのが悲しい。

方言

anond.hatelabo.jp

端的に言うと、ネットで使われるのはテキストによる言葉、つまり文語であって口語ではないからだと思います。ブックマークコメントにもそう書いてあった。

文章を書く時に、話すように書くと身構えずにスラスラと書ける、などと言われるけれど、方言話者が話す通りに文章を綴ると他所の地方の人には読み難いはずなんです。ちょっとやってみましょうか?

今な思てるんはカメラ欲しいねん。一眼レフみたいなちょっとええやつ。コンパクトカメラみたいなちゃちなやつやなくて一応しっかりした、レンズとか変えて色んな撮り方ができるようなカメラが欲しいねん。ネットとかでもそういうの調べてんねんけどまあ結構ええ値段しよるわ。貧乏人にはちょっと散財やけど、でもカメラくらい買うたって罰当たらへんのちゃうかなと思てるねん。なんか楽しみみたいなものがないと人間腐ってしまうやんか。だからカメラ欲しいねん。
カメラ買うて色んなところ行って写真撮りたいねんな。木造モルタルのもう昭和感満載の貧乏くさい建物とか家とかビルとかを解体してるとことか。そういう朽ち果てていきそうなもんとかの写真撮りたいわ。あとは夜景な。この前車で夜中に走っとったら道路工事しとってんけど、今の道路工事ってLEDの照明たいて明るうしてやってるやんか。その景色見て「絵になるなあ格好良いなあ」思て、ああこんな時にええカメラ持ってたらなと思てん。スマホのカメラでも写真は撮れるけど、思たような感じに撮られへんやんか。だからなええカメラ欲しいねん。色々考えてんねんけど、色々考えんと買うてもうた方が早いんちゃうかなとも思てる。カメラ欲しいわあ。

どう?読み難いでしょう?

台湾音楽

ラジオから流れてきたこの曲が好きになった。

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調べて見ると歌い手の劉若英は台湾の人みたい。台湾のポップスってあまり数多くは聴いていないけれど良いものが多い気がする。良いものだけが海峡を超えてこちらに届いているだけかも知れないけれど。

例えば

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これも台湾のバンド、雀斑(freckles)の曲。ボーカルの女の子はスキップスキップバンバン。彼女は日本でも演奏していて一度ライブを見たことがある。
最初に台湾の音楽に関心を持ったのはこの曲

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透明雑誌というバンドの『性的地獄』という曲。この曲が収録されているアルバム『我們的靈魂樂』は2010年リリースなので10年前か。良い意味でのパンクが宿っていると思う。

台湾に限らずアジア各国のポップスやインディー・ミュージックの情報ってインターネットの普及したこの時代でもなかなか容易には入ってこない。でもレコード屋に行くとインドネシアのノイズミュージックのコンピレーション・アルバムなどが入荷していたりして地下水脈のように流通してはいる。

音楽のジャンル分けで、邦楽/洋楽などと言うけれど、洋楽なんて英米のロックやポップスでしょう?それに飽き足らない人たちはジャーマンロックやイタリアのハードコアなんかを聴いていたりしたものです。

タワーレコードなんかに行ったりしてアジア各国のメジャー、マイナーな音楽が聴けるようにその内なるんじゃないだろうか。10年か20年かそのくらいかからかもしれないけれど。
アメリカとイギリスの音楽を有難がって聴いてるのなんていつの時代だ、って思う。かつてはその2国の大衆音楽が先鋭的だったかもしれないけれど。

K-POPだけじゃないアジアの良質な音楽が手軽に音楽ファンの間に届く日がきっとくると思う。

 

書店へ行った。休日だったので。
家にはまだ読んでいない本が沢山あるのに書店に行けば新しい本を買ってしまう。今日買ったのは漫画が一冊とこれ

 

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社会学者で小説家の岸政彦さんと小説家の柴崎友香さんの共著による大阪のエッセイ。ぼちぼち読み始めている。岸先生は67年生まれなので自分とほぼ同年代、柴崎さんは73年生まれなので10年くらいの年の差になる。彼と彼女が見てきた大阪が語られるが、柴崎さんが映画を観た扇町ミュージック・スクエアや堂島の大毎地下などという場所の名前に郷愁を覚える。どちらも今はない場所だけれど自分もよく出掛けて行った劇場だった。

大阪という街についてのエッセイで面白く読んでいるけれど、そもそも街を語るとはどういうことなのかとも思う。お二人はご自身のエピソードと絡めて語っていて、そもそもプロの文筆家なのだから読ませる文章であるのは当たり前だとしても。

でもやはり街を語るというのは、そこで自分に起きた出来事を語るのが正しいのかも知れない。噂や伝聞によってこの街はこんな場所、なんて語ることはできないのだし。そして過ごした場所というのはやはり店なのかもしれないと思う。それが街の構成要素の主要な部分だから。飲食店だけでなく、何かしらの販売店、劇場、そんな場所で過ごした時間と感想が街の印象になっていくような。ただ路上を幾ら徘徊しても街の表層を眺めているだけにしかならず、街の中に入っていくには店に入るしかないように思う。そこに住んでいるという話なら別だけれど。

うまく言えないけれど、なんとなくそんなことを思った。まだ読書中なので読み終えたらまた違う感想があるのかもしれない。

シン・ウルトラマン

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ウルトラマンです。

庵野秀明による企画・脚本ということで期待しかない。庵野監督の『シン・ゴジラ』は快作だった。ゴジラ映画の、今私達が生活している町を巨大生物が襲う、という基本中の基本コンセプトを現代に蘇らせてくれたから。快作ではないな。傑作でした。

その庵野秀明によるウルトラマンとなれば期待しかない。庵野さんは大阪芸大時代にウルトラマンのパロディ的なフィルムを残しているので思い入れは相当あるだろう。やっぱり愛がなくちゃね。
予告編を見ると『シン・ゴジラ』的なカットが見受けられてそれも期待です。

ウルトラマン仮面ライダーも初代から見ている世代ですが、今現在の同シリーズがどうなっているかは、とんと知らないのです。もういい大人なので怪獣や怪人といったものを追いかけるということもないので。しかし子供の頃に見ていたものに関してはいつまでも覚えている。ウルトラマンウルトラセブンにでてきた怪獣の名前は姿形を見れば今でも即答できるのではないだろうかと思ってる。でも即答できないこともあるかもしれない。最近そういうこと多くて。あれ誰やったっけ、ミッション・インポッシブルの背の低い人、トム・ハンクスちゃうわ、トムは合ってる気がするけど誰やったっけ、みたいなやりとりを繰り返している今日このごろです。

まあ観たい映画があるというのは良いことです。映画は好きだから。コロナで映画館にも気安く行けない日々だけれど『シン・ウルトラマン』公開の頃には色んなことが普通に戻っているといいな、などと思ってしまいます。